自分の役割とは

NO IMAGE

遠藤周作の「深い河」を読んで自問する。

 

「一体それが何になるのか」

 

そこに終着する虚無。
馬鹿なこと。無意味なこと。時間を浪費する行い。
誰もやりたくない仕事を引き受けてくれているだけ。
偽善。

 

 

本当にそうなのだろうか。それだけなのだろうか。
優しさの意味は何なのだろう。

 

解決のしない混沌の渦の中、世の中を進歩させようと働く人たち。
希望を見出そうと働く。
この世界を変えようと。

 

変わればいい。
それに越したことはない。
もっともっと幸せな人が増える世界に変えて欲しい。

 

 

でも、世界が変わる前を生きている人たちがいる。

渦中の苦しい世界で息絶える人たちにとって
優しさはどれほどの安らぎとなるだろうか。

地獄の中の花。
こんな酷い終わり方を迎えようとしていても最期に顔を拭いてくれる人間の存在が、どれほどの。

 

 

無知が不幸を作っている。

 

 

知恵と勇気と愛を全ての人間が持てたら。

 

 

何のために歌うの?

 

苦しんでいて辛い、若い人たちを救いたいから

 

救いたい?
歌が何でそれになると思う?

 

一番はできることなら大金持ちになって、みんなの苦しみの原因を金の力を最大限行使して取り払うことだ。

けれど僕はお金持ちになる方法を勉強するために生きたいんじゃない。
自分が幸せになるために生きたい。

 

歌うことが好き。歌が好き。
自分が好きなことで役に立ちたい。

 

歌で何ができるのか

歌で人が救えるのか

僕の歌で救える方法はないのか

 

いや「救う」なんておこがましいことだ。
その人の何を知っているというんだ。

 

でもきっかけならつくれる。

 

少しの間でも彼らを「自死」から意識を遠のかせることはできる。
歌っている少しの時間その人からそれを遠のかせることはできる。

それが「救い」になるのかはわからない。

その人のいっときの癒しに。
少しでも多くの回復に。

 

できることをやるしかないんだ。

 

僕の歌が一番役に立つ最適な方法は何か